サムネイル:https://www.tsn.ca/other-sports/canada-s-ethan-katzberg-wins-gold-in-hammer-throw-at-world-championships-1.1998050(The Canadian Press)
絶対王者に取って代わる若い世代に注目
昨年のブダペスト世界陸上では、世界陸上5連覇中だったパベウ・ファイデクがついに王座から陥落。新世代の王者となったのは21歳のイーサン・カツバーグ(カナダ)だった。若さもさることながら、競技歴わずか4年で世界の頂点に立ったというのだから驚きだ。
テグ世界陸上砲丸投銀メダリストのディラン・アームストロングに師事するカツバーグは、ハンマー投げ選手の中でも特に大柄な197㎝の体躯を誇る。一方、体つきは細身であり、ウエイトの数値を上げるだけでもかなりの記録向上が見込めそうな、伸びしろたっぷりといった怪物ぶりである。
しかし、競技歴の浅さや筋力の低さに見合わず、ターン技術は非常に精巧でセンスを感じさせるものがある。軸を保ってターンしているだけでなく、フィニッシュまでしっかり決めるのは容易ではない。
ハンマー投げにはなぜ195㎝以上の選手が少ないのかと言えば、一つは円盤投・砲丸投に逸材が流れてしまうということと、もう一つは重心の高さにあると私は考えている。近年世界トップスロワーの一人として活躍しているヴォイチェフ・ノビツキはカツバーグと同じく2m近い長身選手であるが、長い脚でハンマーと釣り合いを取るのに長年苦労していた印象がある。特に、プレッシャーのかかる世界大会ではターンがグラついて80mがなかなか超えられなかった。ファイデクの天下が長く続いたのも、ノビツキが巨体を上手くコントロールできず、一発が出しづらい状態だったことも関係しているだろう。東京五輪ではついに才能を開花させ、80mスローを連発。翌年のオレゴンではファイデクに敗れはしたが、81m03,ブダペストでは81m02でいずれも銀メダルを獲得している。
このように長身選手が強烈な遠心力に対抗できるターンを習得するには長い年月がかかるものと思われていた。ところがカツバーグはわずか4年で、世界の大舞台でも軸のブレない安定したターンを披露した。そのポテンシャルには舌を巻くしかない。
ご存じの通り、世界記録保持者のセディフや歴代二位のリトビノフは180㎝前後という非常に小柄な選手で高速ターンを用いる選手だった。彼らの身長が190㎝だったら、恐らく全く異なるターンをしていただろうし、ともすればあれだけ大成することもなかったかもしれない。
現在世界記録更新には程遠い状況にあるハンマー投げだが、新しい風を吹かせ閉塞的な時代を終わらせるのはカツバーグのような体格・技術・センスを兼ね備えた選手なのかもしれない。
しかし10年もの長きに渡り絶対王者として君臨したファイデクにも、まだメダルを獲る力はある。ジョルコフスキーの後を継ぎポーランドのハンマー投げを牽引してきたプライドにかけ、そう易々とフェードアウトするつもりはないはずだ。
同い年のノビツキもベテランの意地がある。昨年カツバーグに煮え湯を飲まされたが、若手にいつまでも好きにさせるわけにはいかないだろう。東京時のノビツキが戻ってくれば、五輪二連覇も決して夢ではない。
私としてはもう一人注目してほしい選手がいる。ハーバード大のケネス・イケジ(イギリス)だ。カツバーグと同じ2002年生まれの若い選手だが、昨年の全米学生選手権で77m92の自己ベストを出して優勝している。前年のベストが69m01と、日本選手と大差ないくらいだったのがわずか一年で世界レベルの記録を出してきた。この種目では黒人選手自体が非常に珍しく、世界レベルで見ても私が覚えているのはキブエ・ジョンソン(アメリカ)くらいだろうか。黒人特有の高重心はハンマー投げと相性が良いようには思えないが、この若さで78m弱投げているのは評価できる。カツバーグの大躍進はさぞ良い発奮材料になったことだろう。

昨年は体調不良により試合出場がなかったイギリスのハンマー王者、ニック・ミラーを破り世界への扉をこじ開けるか。若手の活躍に期待したい。
また、アメリカ記録保持者ルディ・ウィンクラーにもそろそろ世界大会でのメダルを獲得して意地を見せてもらいたいと思う。
世界王者VSハンマー女王
昨年肩の不調によりブダペストで予選敗退を喫したブルック・アンダーセン(アメリカ)がどこまで調子を戻してきているかが焦点となる。同国の80mスロワー、ディアナ・プライスは怪我を乗り越えて復調傾向にある。再び80m台に乗せてくれば、金メダル候補として不足はない。
だが昨年の実績や勢いからすると、カムリン・ロジャーズ(カナダ)が金に最も近い存在であろうか。2014年以降9年連続で自己ベストを更新している24歳で、昨年のブダペストではカツバーグとともにアベック優勝を成し遂げた逸材だ。
大学卒業後のプロ一年目だった昨年は、スポンサーがつかず経済的に芳しくない状況のまま世界陸上を迎えた。しかし優勝した次の日には、ナイキとスポンサー契約を締結。今年は金銭面での不安なく競技に打ち込めるため、さらに記録を伸ばしてくることは想像に難くない。

年齢的に恐らく最後の五輪となるであろうアニタ・ヴォダルチクの動向も気になるところ。昨年は怪我からの復帰シーズンだったこともあり、SBは74m81に留まった。ブダペストでも予選敗退となったが、恐らく彼女にとって最も重要なのはパリ五輪での四連覇である。達成されれば、アル・オーター,カール・ルイスに続く陸上史上三人目の快挙である。アメリカ勢,ロジャーズらのうち最低でも一人は80m近く投げてくることが予想される以上、四連覇への道は非常に険しい。しかし2022年、故障前には78m台をマークしていたこともあり、その頃の調子まで上げてこられれば優勝の可能性は十分ある。四連覇を達成した暁には、ぜひ年間最優秀賞を与えてほしい。種目だけを見て正当に功績を判断できない世界陸連など必要ない。
ヴォダルチクは、今や数少ない2000年代から活躍を続けている選手。最後に一花咲かせて、輝かしいキャリアの集大成を飾ってほしい。
カツバーグのウエイトはクォータースクワット115、ベンチ70〜80、スナッチ90〜95とか書いてましたね…
正直ほんまかいな?と疑ってますが競技歴の短さからして筋力が未熟なのは事実でしょうし、これから凄いことになりそうな大器ですね
室伏さん以来のクリーンな84mスローも見られるかもしれません
コメントありがとうございます。さすがにその数値は滅多に測ってないだけでしょうねw
コカーンの80mもスゴイですが、まさかそれを上回る逸材が出てこようとは…。ハンマー投の希望となりそうです。
記事と直接関係ない内容で恐縮なのですが、投人さんから見て室伏さんとファイデクって実績面ではどちらが上だと思われますか?
今日知人と軽く議論になりまして、決着がつきませんでした。
私は記録水準の高さ(PBで勝っており五輪と世陸両方で83m近く投げてる)を理由に室伏さんを推したのですが、知人の主張する継続して世界トップに立ち続けるファイデクの凄さ(世陸5連覇)も確かに軽視できないなと思いました。
お手すきの際にでもご返信いただければ幸いです。
そういった最強議論みたいなものができる環境が羨ましいです。さて、それぞれの優位点を整理すると以下の点が挙げられます。
【ファイデクの優位点】
・世界陸上優勝回数
・セカンドベスト
【室伏さんの優位点】
・自己ベスト
・五輪世陸制覇
・世界大会でのアベレージ
・世界陸上高齢優勝
・83m超の数
ファイデクはハンマーの暗黒時代を支えたという意味では、世界陸上5連覇は素晴らしい実績だと思います。
ただいくら5連覇といっても2000年代と比較すると、ファイデクが強いと言うよりもライバルが弱すぎたのと、ファイデク自身の世界大会での記録も高水準なものが少なく、2017年に至っては79m台で優勝しているという点が評価を大きく落とします。
そして、優勝が確実視されたリオ五輪で予選敗退したこと。私の中ではこれが致命的です。ハッキリ言ってファイデクの実力なら勝って当然というレベルでしたし、78mで優勝なんてハンマーが本当に終わったかと思いましたよ。怪我を押して出場したわけでもなく、練習では77mは投げていたそうですが結局72mしか投げられず一体何が起こったのかと私も当時驚愕しました。
リベンジを懸けた東京でもヘンリクセンに敗れて銅でしたし、世界陸上5連覇の選手が五輪タイトルを持っていないというのは大きなマイナス要素です。5連覇はブブカに次ぐ実績ですし、間違いなく素晴らしいのですが時代が時代なため手放しで評価できないのが実情です。
一方、室伏さんは世界陸上での優勝回数こそ劣りますが、彼の全盛期は2010年代よりも遥かにハイレベルなドーピングモンスター跋扈する時代でしたからメダルの難易度は段違いだと思います。にも関わらず、エドモントンで82m92、アテネ82m91を投げ、さらには36歳という高齢ながら81m24で世界陸上優勝。
2000年のシドニーから2013年のモスクワまで、二度の欠場はありましたが必ず決勝に残っていたのも評価ポイントです。これだけの実力を持つ選手でも、何かの間違いで予選敗退してしまうことはファイデクを見てもわかります。だからこそ毎回決勝に残る安定感が光ります。
セカンドベストはファイデクに劣りますが、わずか1㎝です。83m超の数なら室伏さんのほうが一回ですが多いですし、何より昨今のハンマーを見ていて84m86の偉大さは筆舌に尽くしがたい。やりや円盤のように条件次第で大きく記録が伸びる種目ではないので、一メートル近いベストの差は結構なものだと思いますよ。
私が選手を評価する時、主な評価基準は以下の順番になります。
1 五輪・世界陸上優勝
2 記録・アベレージ
3 世界大会優勝回数
4 メダル数
私がまず最初の基準として設けているのは五輪・世陸の二冠があるかどうかです。議論の俎上に上げる時、これがないと評価が低いです。陸上選手は四年に一度のオリンピックを重視しているため、開催頻度の高い世界陸上よりも優勝難易度が高いからです。世界一を名乗るなら両方目指すべきだし、取ってほしいと思います。
次に記録です。色々な考えがありますが、陸上はどこまでいっても記録のスポーツです。ここから逃げる選手は評価に値しません。金メダリストであるからには、相応しい記録を持って然るべきです。記録だけの選手も、勝負強さはあるが記録を重視しない選手もあまり好きではありません。
優勝回数・メダル数の優先順位が低いのは周りのレベルにも大きく左右される指標だからです。例えばアル・オーターの五輪四連覇はとてもない偉業ですが、現代のレベルでは不可能に近いです。
円盤投で言うと、アレクナ父とリーデルの比較がわかりやすいでしょうか。リーデルは世界陸上優勝5回、オリンピック1回で、PBは71m50。優勝記録を見ると66m台もあります。アレクナ父は世陸・五輪ともに二回。しかも両方とも連覇しています。PBは73m88で世界歴代2位。実質的な世界記録とも言えます。世界陸上で70m、五輪記録も今年更新されそうですがまだ持ってます。したがって私はアレクナ父の方が実績面で優れていると思います。
(余談ですが、室伏さんとアレクナは似ています。PBの後に怪我をしてしまったこと、息が長く最後の世界大会が2013年だったこと。実質的な世界記録を持っていることやライバルが歴代十傑級の選手だったことなど)
ハンマーに戻りますが、これ日本人に聞くかポーランド人に聞くかでまた変わってくるのでしょうか。私は日本人なのでどうしても室伏さんを贔屓したくなりますが、世界陸上5連覇のファイデクだってとんでもないですからね。
ただ現在の実績ではなく、もしお互いの全盛期が同時期だったと考えたらやはり室伏さんに分があるのではないでしょうか。ライバルが強ければファイデクがもっと伸びていた可能性も否定できないのでたらればでしかないですけどね。ファイデクが2000年代でも同じ実績を残せるなら上にしていたかもしれません。
丁寧かつ迅速にご返信いただき感謝致します!
やはりこうして見ると室伏さんの優位性が大きいですね。「最強」の称号には五輪世陸の二冠が必須だと私も思います。日本選手では室伏さんただ一人、パリで北口さんが続いてくれると嬉しいですがどうなるかな。
勿論ファイデクも素晴らしい選手なのですが、仰る通り五輪での実績の乏しさやライバルの弱さがどうしても評価に響きますね。
非常に納得感のある内容でした。投擲の知見に関しては投人さんが「最強」だと思います!
ファイデクの世陸連覇はいつかの動画で「雑魚狩り」と
投人さんは仰っていましたが、オレゴンでの5連覇目は
かなり価値のあるものではないかと思います。
一昔前は80超殆どいませんでしたが、東京五輪から
レベルが少し戻って、オレゴンも80超えても5位という
選手がいる中、81投げたノビツキを抑えて自身世界大会
最高記録出して勝つというのは、ファイデクへの評価を
かなり上げる試合になったかと思います。
我ながらさすがに言葉を選ぶべきだったと反省しております…。あの時はよく荒れなかったなと。
仰る通り、東京五輪が全体水準復活の契機になったことは間違いないかと思います。ファイデクのキャリアの中でも東京とオレゴンのパフォーマンスは記録的にも内容的にも上位の試合と言っていい気がします。
その動画ではきつめの言葉を遣っていたので誤解されることもあるかもしれませんが、ファイデク自体は凄い選手ですよ。たとえライバルが弱くとも5連覇は立派なものですし、停滞期を支えた核となる選手ですからね。
彼が衰えてきたここ数年で彗星の如く現れたカツバーグが84mスローですから、ハンマーも新時代に突入したと感じます。願わくばライバルが奮起してまた80mスローがたくさん見られるレベルに戻ってほしいと思います。
面白い記事でした!ついに、ハンマー投げに逸材が現れましたね。昔の時代より今の時代の方がハンマー投げの技術が向上したと投人さんは、言えますか?
昔の時代がいつ頃を指すのかはわかりませんが、10年代のことだと仮定すると特に何か変わったとは思いません。ドーピング問題の余波を受けた時代だったとも言えるので記録が停滞したのは複合的な要因があるのでしょうし、天才が一人現れたというだけでその他の選手を見ても以前の時代に勝る要素がそれほどあるとも思えません。
投人さんに質問があります。この記事には、あまり関係がないのですが、今のハンマー投げの世界記録が86メートル74センチです。その記録を砲丸投げに例えたら、だいたい、砲丸投げの飛距離は、何メートルくらいになりますか?返信してくれると幸いです。
陸上では種目同士の比較がよく話題に上がりますが、必要な能力が異なるので正確にどのくらいの記録に相当するというのは難しいです。
スコアリングテーブルという指標がありますので86m74の得点を砲丸に当てはめるとある程度水準は分かると思います。
あと、記事から逸脱したコメントはなるべくお控えください。
この記事を見て質問があります。投人さんは、イーサンカツバーグのことを鬼才と考えていると思いますが、室伏広治と比べてカツバーグが彼〔室伏広治〕に勝る要素はどういったところか?例〔パワー、技術、瞬発力、投擲のセンスなど〕彼は、まだ若いのにも関わらず、あれだけの飛距離を出せるのは不思議に思います。身長が高く足が長ければ角度をつけれて、有利な部分もあると思いますが。
データが少ないので確実なことは言えませんが、長身選手で小兵の動きができるという唯一無二の強みを持っているのがカツバーグだと思います。ハンマー投は遠心力を利用する競技なのに円盤投よりも長身選手がずっと少ない理由は偏にハンマーとの釣り合いを取ることの難しさにあると言えるでしょう。室伏さんがいくらフィジカル面に特筆すべき能力があるとはいえ、生来のリーチだけはどうしようもありませんが、カツバーグは不利にも傾きがちな長身という個性をほとんど自分の思う通りに活かせている、しかもあの若さと経験の浅さで。技術的に劣ると言っても、あの長身をあれだけのスピードで動かせるのはセンスがあるとしか言いようがないですね。