家族とは愛尽きぬ場所─ラモント・マルセル・ヤコブス(イタリア)

ラモント・マルセル・ヤコブス(Lamont Marcell JACOBS)はイタリアの短距離選手。東京五輪男子100m金メダリストであり、欧州記録保持者(9秒80)である。一部メディアではジェイコブスとも表記される。

ラモント・マルセル・ヤコブス(Lamont Marcell JACOBS)

国籍 イタリア

出身 アメリカ合衆国テキサス州エルパソ

コーチ  Paolo Camossi

所属 Fiamme Oro Padova

種目 100m

生年月日 1994/09/26

身長 186㎝(6’1)

体重 84kg

自己ベスト 100m-9秒80(+0.1/2021年)走幅跳-7m95(+1.0), 8m48w(+2.8), 8m07i

 

来歴

アメリカ人とイタリア人のハーフ

父ラモントはビチェンツアに駐屯するアメリカ陸軍兵士だった

 

1994年テキサス州エルパソでアフリカ系アメリカ陸軍兵士の父Lamontとイタリア人の母Viviana Masiniとの間に生まれる。父の韓国基地転属を機に生後一ヶ月も満たないうちに母と共にイタリアへ移住。両親は生後6ヶ月の時に離婚した。

幼いころは水泳やバスケ、サッカーなど様々なスポーツに親しんだ。サッカーのコーチであり、また陸上コーチでもあったAdriano Bertazzi氏がヤコブスに「陸上でもやってみたらどうか」と声をかけたことで陸上の道へ進むことになる。サッカーの才はなかったが、足は当時から速かったという。

そして10歳の時Gianni Lombardiコーチが主催する“ Desenzano del Garda track”に参加。氏は“Multsitars Combined Events Challenge meeting”という種々の種目を体験させる催しにて、彼に走幅跳と短距離の才能を見出した。

2013年には走幅跳で室内ジュニアイタリア新となる7m75をマーク。2015年には室内で8mの大台を突破(8m03)するもハムストリングを傷め屋外シーズンを棒に振った。

同年9月には上司の紹介により刑務官として勤務していたPaolo Camossi(2001世界室内三段跳金)に師事し、Goriziaでトレーニングを開始。2018年後半には拠点をローマに移した1Goriziaでの経験は本人の糧にはなったが、定期的な医療・理学療法サポートを求めローマへ移ったという。

才能はさらに開花し、2016年には8m48w、2017年には8m07の自己新をマーク。

しかし、膝の摩耗による慢性的な痛みで満足な跳躍が行えなくなっていったことから2018年以降は短距離に転向2走幅跳は自分の初恋だが、今は短距離に絞って良かったと思っている(本人談)。60mと100mに出場し力を伸ばしていった。

2019年は100mのベストを10秒03まで縮め、ドーハ世界陸上に出場。準決勝進出を果たす。

女手一つでヤコブスを育てた

突如現れたダークホース

2021年2月・3月の間には60mに積極的に参加。11試合全てで二着以内に入り充実ぶりをうかがわせた。

3月の欧州室内選手権(ポーランド)に出場し、6秒47の国内新をマークして優勝。屋外シーズンになると、5月にはSanovaで100mを9秒95(+1.5)の国内新で駆け抜け、フィリッポ・トルトゥが保持していた9秒99を更新した。また、自身初の9秒台でもあった。

以後四試合は10秒台が続いたが、7月には二度目の9秒台となる9秒99をマーク。

ジェイコブスと電光掲示板
追い風1.5mの好条件で自身初めて10秒の壁を突破

 

東京五輪

予選で抜群のスタートを決めたヤコブスは組一着でフィニッシュ。タイムは9秒94で二度目の国内新であった。

準決勝では先行する蘇炳添(中国)を終盤追い込んで三着に入り9秒84(+0.9)の好タイムをマーク。国内新のみならず欧州新記録3従来の記録はフランシス・オビクウェル(ポルトガル)が2004年アテネ五輪でマークした9秒86までも叩き出した。

“目標だった”と語る決勝に進出したヤコブスだが、優勝候補には数えられずブックメーカーでは軒並み「大穴」の位置づけであった。

しかし予選・準決勝・決勝と抜群の加速力を見せたヤコブスは、アンドレ・ドグラス(カナダ)やフレッド・カーリー(アメリカ)などの有力選手をおさえ一着でフィニッシュラインを駆け抜けた。タイムは9秒80(+0.1)の欧州新記録。リアクションタイムは0.161で7人中6番目と決して良くはなかった。

ゴール後はすぐさま走高跳で金メダルを獲得したジャンマルコ・タンベリ(イタリア)と抱き合った。

ダークホースの優勝に世界が驚いた

人物・家族

少年時代は素行が悪く、偏食家でツナを和えたパスタしか食さなかったという4https://number.bunshun.jp/articles/-/849256

アメリカにルーツを持つ混血選手だが、本人曰く「筋繊維以外は100%イタリア人」なのだという。イタリアで育ったため英語はあまり話せない。

普段は警察官としてスポーツ活動に従事している。

妻Nicoleとの間にAnthonyとMegan、前妻との間にJeremyを授かった三児の父。

タトゥーを全身に入れているため、いかつい印象を持たれることがあるが本人曰く「寂しがりや」。

尊敬する選手にピエトロ・メンネア51980年モスクワ五輪の200m金メダリストとアンドリュー・ハウがいる。特にハウに対しては共通項が多い6ハウはアメリカ生まれの混血選手であり、母親から指導を受けていた。また、生後間もなく父と別れていることからその種の憧れを抱いている。

イタリアのサッカー選手Francesco Tottiと仲が良く、一緒に過ごすことも珍しくない。

母の存在

母Vivianaは息子の試合には必ず応援に駆けつけていた。モトクロスの家系に生まれたが、息子マルセルにはその類のスポーツは向いていないと思い他の様々なスポーツに挑戦させた。とにかく元気の良い少年だったようで、疲れさせ寝かしつけるために熱中できるものを見つけてほしかったという。

息子の成長に未来を託していた母ビビアナ

 

Gianni Lombardi氏

少年時代のヤコブスを指導したLombardi氏曰く「元気の良い少年だが試合の時は冷静。プレッシャーにも対応できた。運動知識が深く、教えられていないはずの技術動作にも体が上手く反応する」。

ヤコブスにノルディックウォーキングのスティックを持たせて走らせたりするなど、氏の指導方法は独特だった。

 

タトゥー

ほぼ全身にタトゥーを入れており、その箇所は20か所以上にも及ぶ。家族愛やキリスト教への信仰が深く、家族の名前やキリスト教に関するシンボルなどが多数掘られている。

ヤコブスのタトゥー
左肩─“‘Famiglia’ Dove nasce la vita e l’amore non ha mai fine”と書いてあるがこれは「Family. Where life is born and love never ends(家族─生命が誕生し愛が失われぬ場所)という意味7このタトゥーはアメリカの血を表している。家族とは自分、特に自分の子には最も近しい場所であり、彼らはオレの人生なんだ(ヤコブス)

左胸─Jeremy(前妻との間に19歳でもうけた息子)

上腕二頭筋─Meghan(2021年誕生)

首元─CrazyLongJumper(インスタグラムのアカウント名)

背中─虎

腹部─コンパス

下腹部─Anthony(Nicoleとの間に生まれた第一子)

左下腹部─Carpe diem(今を生きろ)ラテン語のフレーズで、幸福のシンボルと考えられている

右肩─十字架。敬虔な教徒であることの現れ

二の腕─錨8キリスト教では安全のシンボル(周囲にはN・Lと記された旗)

その他多数…

 

疑惑の栄養士

2020年9月から2021年3月までヤコブスと協力関係にあった栄養士のGiacomo Brushini氏に職権乱用・国家に対する詐欺・違法薬物やアナボリックステロイドの頒布などの嫌疑がかけられていた(後に無罪となった)。

エピソード

東京五輪にて準決勝進出を決めた夜、選手村の自室にてジャンマルコ・タンベリとプレイステーションで遊び「自分たちが勝つところを想像できるか」「ありえない」などと金メダルを獲ることになろうとは全く想像していなかったという会話があった。

2021年躍進の秘訣にはメンタルコーチの存在と父親との復縁が大きく影響していると話した。2020年から協力関係を続けているNicoletta Romanazzi氏の勧めで復縁を決意した。氏曰く「早く走るためには必要なこと」。また、ヤコブスはRomanazzi氏のおかげで「目標やレースの取り組み方が別物になった。試合の時は平静を保ちつつ、レースを楽しめるようになった」という。

100m決勝の数時間前には父から“You can do it. We are with you.”というメッセージが送られてきた。

東京五輪100mで銀メダルを獲得したフレッド・カーリー(アメリカ)はヤコブスのことを「全く知らなかった」と話している。