世界陸上2019ドーハ 男子砲丸投げプレイバック&分析

28年ぶり五輪新

その男の名は、ライアン・クルーザー(アメリカ)。体格も、そして投げ方も今までの選手とは一線を画す存在だ。

 

身長201㎝、体重145㎏。従来はネルソンやホッファなど180㎝程度の小柄な選手が体格差をカバーできる投法として用いることも多かった回転投法。

それまでバーンズやゴディナ、キャントウェルなど190㎝を超える大柄な選手もいないわけではなかったが、少なくとも世界大会で活躍する選手は180㎝~185㎝程度の特別大柄ではない選手が多かった。190~2mクラスの選手はグライド投法のほうが多く見られたのである。

そんな中現れたのが2m級のクルーザー。

恵まれた体格とファーストターンをゆったりと回る特徴的なフォームを武器に、前年世界陸上覇者のコバクスを破り全米選手権優勝。しかも自身初の22mをマークして文句なしの優勝だった。

 

新時代の幕開け

そうして鳴り物入りでリオに乗り込んだクルーザーが中心となって展開した砲丸投げ決勝。2投目に22m22をマークし、大記録を予感させた。続く3投目にも22mを超える22m26。

追い上げてくるチームメイトのコバクスを尻目に、雄叫びとともに放たれた5投目は、22mラインを大きく超えた。記録は22m52。それまでティンマーマンが28年保持していた五輪記録を5㎝更新したのだ。

結局決勝では計3回の22mショットを繰り出したクルーザー。かつてないスローモーションのようなターン、そして22mを決勝で複数回記録する脅威のハイアベレージ。

安定のグライド、爆発力の回転と言われる中で、ただ一人ハイブリッドなパフォーマンスを披露してみせたのだ。

この時、投擲を知る人間ならば誰もが予感したであろう。“クルーザー時代”の到来を。

 


【グライド時代の終焉】クルーザー、コバクス、ウォルシュのメダリスト3人はいずれも回転投法。世界大会で回転の選手が表彰台を独占したのは2007年大阪世界陸上以来9年ぶり。五輪では2000年シドニー大会以来16年ぶり。

 

大回転時代の到来

クルーザーら回転投法の台頭は、グライド時代の終焉を告げていた。

2012年のロンドン五輪の決勝進出者のうちグライドはマイェフスキとシュトールだけだったが、この二人が金・銀を占めたのでまだグライド勢の力は十分あった。

それ以外の大会では回転とグライドでおおよそ3:2くらいの割合だった。

しかしリオ五輪ではグライドの決勝進出者3人は誰一人として表彰台に上がることはできず、22m前後を投げられる回転の前にはなすすべがない感じがあった。

五輪を二連覇していたマイェフスキがメダル圏外で終わったこともその印象に拍車をかけた形である。

 

2008,2012と五輪二連覇を達成したトマシュ・マイェフスキ(ポーランド)。 年齢による衰えもあり若手のクルーザーに歯が立たなかった。

世界陸上2017北京

翌年の世界陸上ではその傾向がより一層顕著になった。

グライドの決勝進出者はかつての世界王者シュトールただ一人。その他11人全員が回転投法の使い手である。

かつてはアメリカのお家芸であった回転だが、ちょうどクルーザーが台頭してきたあたりから欧州勢を初めとして有望な選手が出てくるようになった。

決勝進出者のうち4人が22m越えのSBを持ち、自己記録まで含めると6人の選手が22mを投げたことがあるという21世紀最高レベルの大会になった。

唯一のグライド選手として孤軍奮闘したシュトールだったが、膝の調子が良くなかったのか20m80で10位に終わり、あえなくベスト8から漏れてしまった。

20m80という記録は、従来の大会ならベスト8に入るには十分な距離だったのだが、この大会は違った。元々の爆発力に安定感を兼ね備えた回転選手たちにより、8位の記録が20m89まで引き上げられたのだ。

前年のリオ五輪もベスト8のラインは20m64と非常に高かったのだが、今回の結果はさらに高水準であると同時に、完全に時代が移り変わった証左でもあった。

かつて世界陸上を2連覇したシュトールも、隆盛著しい回転の前に敗れていった。

回転投法の普及により、アメリカ一強だった22m争いも熾烈さを増す。ニュージーランドのウォルシュ、チェコのトマス・スタネクなど他国でも22mを超える選手が出始めたのだ。

トマス・スタネク(チェコ)。 大きく腰を割り込む開始動作が特徴的だ。

 

最高レベルの闘いが期待された大会はしかし、波乱が起きた。

22mスローを連発し、22m65の大記録を引っ提げて五輪との2冠を目指したクルーザー。優勝候補筆頭と見られていたが、全く振るわず21m20でなんと6位に終わってしまう。

シーズンで最低の試合となったクルーザーは終始冴えない表情だった。

そんな波乱の中、金を手にしたのがクルーザーとは対照的な高速ターンのウォルシュだった。

186㎝とさほど大きくはないウォルシュは優勝を決めた後の6投目に22m03をマーク。2009年のキャントウェル以来、8年ぶりに優勝記録を22m台に引き戻した。

2014年ごろから徐々に力をつけ初め、ついに栄冠を手にしたトマス・ウォルシュ(ニュージーランド)。目にも止まらぬ高速ターンが持ち味。

【引用:https://media.aws.iaaf.org/media/LargeL/efe2655a-eed2-4eab-ac9c-16c12aaa124a.jpg?v=1830826943】

 

ニュージーランド勢は女子のヴァレリー・アダムスが世界陸上4連覇するなど活躍していたが、今度は男子で台頭する形となった。

 

影響は日本にも

回転の波は欧米だけに留まらなかった。

2018年には中村太地が回転投法で18m85の日本記録を樹立。それまでグライド投法の畑瀬聡が保持していた18m78を7㎝更新した。

また、この年にはウォルシュが22m67をマークし、クルーザーの22m65を上回り現役世界最高記録保持者となった。

 

そう、世はまさに大回転時代へと突入したのである。

 

18m85の日本記録を樹立した中村太地選手。回転投法での日本記録樹立は野沢具隆以来22年ぶり。

 

 

アメリカ以外の選手が現役世界最高をマークしたのは1988年のティンマーマン以来30年ぶり。アメリカの牙城を崩した瞬間だった。