国内における投擲界の問題について考える

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日常的に触れる場面の少なさ

砲丸や円盤などの投擲用具はいざ投げようと思って投げられるものではなく、陸上部への入部がほぼ必須となる。そのため、少し興味を持った程度では中々触れる機会が得られないというのが現状である。

例えばアメリカでは、アメフトの選手がオフシーズンに陸上を始めたついでに投擲に触れることも珍しくない。実際、重量級のポジションには投擲経験者も多数おり、その逆もまた然り。陸上は観るスポーツとしてはマイナーだが、やるスポーツとしては決してマイナーではない。それは日本も同じだが、投擲に関しては何となく陸上部に入った選手が触れるというケースがほとんどであり、明確な目的を持って投擲の世界に入るといったことは少ない。あったとしても兄弟がやっていたから、というケースが多数を占めるだろう。

短距離など生来の素質が大きなウエイトを占める種目は、「脚が速いから陸上やってみたらどうだ」と声をかけられることも珍しくない。しかし投擲の場合、もちろん体格の大きさは生来の才能の一つとして数えられるのだが、「体が大きいから投擲やってみろ」とはなかなかいかない。

少なくとも日本において、身長・骨格に恵まれた逸材はパワー系競技同士での争奪戦になる。2mを超えるような選手はバスケやバレーに流れることが多いが、180㎝以上であれば柔道,ラグビー,野球などで重宝されるためコーチや上級生は勧誘に躍起になる。

これらのスポーツと争った時、残念ながら投擲競技は競争力に欠けると言わざるを得ない。

上述のスポーツはたとえ未経験者でもテレビで一度は見たことがあり、大まかなイメージが描きやすい。ところが、投擲は露出の少なさから一般の目に触れる機会は段違いに少ない。日本は室伏広治や北口榛香、村上幸史などメダリストこそ輩出しているが、その功績にふさわしいメディア露出があるかと言えば、間違いなくNoだ。

もし自分が体格に恵まれた新入生で、多数の部から勧誘を受けていたとしてもわざわざよくわからない競技を選ぼうとは思わない。恐らく大多数の日本人がそうだろう。北口や村上は奇跡的に大成功したレアケースだ。逆に、彼らほどの逸材も素質を見出してくれる恩師の存在がなければ埋もれていたかもしれない。

だからこそ、投擲関係者は新規層に対するアピールやアプローチを忘れてはならない。幸い今はインターネットやSNS,動画サイトなど情報発信の場には事欠かない。テレビがあてにならないなら、こういったツールを利用するまでだ。

当事者意識の欠如

ところが、いざ自分が情報を発信する側になって気づいたことがある。投擲に関わる人間の多くが、こういった問題を他人事のように捉えているのだ。この競技を経験した人間ならば、誰しもが一度は「冷遇されている」と感じたことがあると思われる。それに対して不満をこぼすことはあれど、実際に「投擲のイメージを良くしよう」と行動に移した人間が果たしてどれだけいるか。

マイノリティが存在感を増すことは決して容易ではないし、同じ陸上界にも「所詮は投擲」と蔑む人間が少なくない。自身の立場を危うくしてまで彼らに対抗しろとまでは言わないが、せめて身内である投擲界だけでも盛り上がりを演出できないものか。

SNSは人気が数字となって如実に表れる。短距離選手と比較して、投擲選手のフォロワー数やいいねの数は遠く及ばない。しかし、選手やファン一人一人の心がけしだいでこういったものは覆せる可能性がある。たとえ母数が小さくても、エンゲージメント率が高ければ界隈における関心の高さを表す指標にはなりうる。

動画サイトにおけるコメント欄も同じだ。活発的に議論が行われていれば、界隈に詳しくない人から見ても少しは魅力的に映るだろう。マニアックな内容を取り扱っていても、マニアすら出没しない界隈など誰が興味を持つだろうか。実際、私も動画投稿者として反応の悪さには頭を抱えるばかりである。無論、投稿者として未熟な私自身にも大いに問題・課題はあるのだが、「面白かった」「こんなものが見たい」というコメントだけでも印象は見違えるように変わる。

しかし、私の動画の良し悪しや人気などは副次的な問題であり、投稿者や動画が何であれ反応を示さないことが一番の問題なのである。これが岩佐選手やディーン選手の動画ならまだ多く反応をもらえるのかもしれないが、それはただ彼らが人気者であるというに過ぎない。かくいう私だってYoutube全体で見れば弱小(登録者2000人強)でしかないが、投擲投稿者の中では10位以内に入るくらいには認知されていると思う。

それでもコメントが多数つくことは稀だ。良くも悪くも投人チャンネルは雑多で、選手の素顔に迫るメディア寄りのものや技術解説、さらには他種目の話題まで取り扱っている。それほどコメントに困る動画を上げているのだろうか……。

DMなどで「いつも見ている」「応援している」と仰ってくださる方ももちろんいるが、全体から見れば少数派だろう。ほとんどの方が“黒子”に徹している。競技人口もファンも掃いて捨てるほどいる短距離ならそれでも問題ないが、絶対数が少ない“投擲民”が黒子に徹していても傍から見れば閑散としたただの斜陽業界である。その問題を客観視できている人が果たしてどれだけいるのだろうか。

投擲は他種目に負けないほど魅力的だと確信しているが、投擲界は魅力的ではない。

野球やサッカーがメジャースポーツとなったのは、スポーツ自体の面白さや娯楽性の高さによる恩恵も当然あるだろうが、一番の理由は普及に尽力しようとした人たちが大勢いたということだろう。走る・跳ぶ・投げる・泳ぐといった人間の基本的運動動作はどの国でも行われているが、野球などのスポーツは認知度ゼロの状態からスタートしたはずだ。初めは少数でも、「この素晴らしいスポーツを広めよう」と情熱を燃やし続けた人たちがいたからこそ、年月を経て皆が親しむ娯楽に昇華されたのである。

私は球技に一切興味を持たないが、傍から見て楽しそうな界隈が魅力的に映るのもまた事実だと考えている。

メジャースポーツの盛り上がりを見て、私自身嫉妬することもある。だが、本来はその行為さえおこがましい。彼らは得るべくして市民権を得たのであり、その努力を怠っている陸上界の人間は口を出す立場になく、普及という観点ではむしろ見習うべきことの方が多い。だからこそ私も不満ばかりこぼすのではなく、まずはできる範囲で普及に貢献しようと動画投稿から始めたのである。

だが投擲界にも、少数ながら動画投稿やSNSで横のつながりを強くすることで輪を広げようとしている人達がいる。彼らが投擲や投人のことをどう考えているかはわからないが、私は彼らのことを同志だと思っている。もちろん、私自身も投擲の動画や投稿を見かけては何らかのアクションを起こすように心がけているし、新米投稿者も大歓迎だ。

本心では投擲を愛好する者全てを同志と言いたいところだが、しかしながらそうとは言えない人がいる

自分としても何度もこの話題に触れたくないし(先日もインスタで触れたが)、以前共感を示してくれた人もいい加減辟易する頃合いかもしれない。しかし、日本の投擲事情を語るうえで避けて通れない問題が顕在化した場面だとも思うので、改めて自分の考えを示すことにする。

既にご存じの方も多いだろうが、私は昨年SNSでちょっとした“炎上”を経験した。発端となった当該ポストは削除したが、それに連なる一連のポストは世界のハンマー投の至近10年を総括したものだった。その内の一つがどうやら繊細な方々の勘に触ったらしい。

“いくら日本選手が活躍しようとも世界大会で80mも行かない低レベルな試合など観たくない”

削除済みのため原文ママではないが、大まかにはこういう内容だった。私としては一連のポスト含め、全体のレベルが下がることで日本選手が活躍出来ても手放しでは喜べない。水準低下著しかった2010年代には戻ってほしくないという「激励・願望」のニュアンスを多分に含んだつもりだった。

ところが、帰ってきた反応は「アスリートだって頑張ってるのに失礼」「表面的な記録だけで判断するのはリスペクトにかけている」などという的外れな批判だけ。挙句にはそれらに賛同する多数の声。極めつきはそれが部外者ではなく、相互フォローのアカウントや何回かやり取りを交わしたことのある人がほとんどだったということ。

知識不足ゆえによく知らない人間が誤解するのはまだいい。しかし投擲に関わっていてなおかつある程度私のことを知っている人間が批判に回るとは、皆を同志だと信じていた自分にとっては青天の霹靂に他ならなかった。

しかも、中には子供たちに陸上を教える指導者や、日本選手権クラスの選手もいた。選手としては何の実績もなかった私でも、投擲界に貢献できることはないかと日々情報発信や話題を提供していてもほとんど反応を示さなかった彼らが、鬼の首を取ったように否定的な見方を投げかけてきたことに衝撃を受けたし、何よりただ悲しかった。

期待しないことこそ無礼

ここではっきりと反論させてもらおう。私からすれば貴方たちこそ表面的な見方しかできずリスペクトを欠いている人間である。

2000年代半ばから陸上に関わってきた私は、ベラルーシ勢が席巻した時代と、それに伴うドーピング問題、記録水準の低下をリアルタイムで見てきた。だからこそ言える、あの状態が続けば早晩ハンマー投という種目は終わると。

10年ほど前にレスリングなどが五輪種目から除外されるというIOCの決定が話題となった。結局多数の批判を受けて撤回となったが、除外候補の中に砲丸投も含まれていた。理由は様々なものがあるだろうが、一番は商業面ではないかと考えられる。スポーツも金が絡む以上、儲からない不人気スポーツは実施したくない、中継したくないというのがIOCなりマスメディアなりの本音だろう。競技が好きな人間として抗議したい反面、彼らの言い分も良くわかる。競技運営はボランティアでは成り立たないからだ。

ハンマー投に話を戻そう。同じ投擲種目であり、よりマイナーなハンマー投にとって決して対岸の火事ではなかったはずだ。薬物汚染が酷い上に知名度も人気もない、視聴率も取れない、おまけに記録水準は30年前…そんな前時代のスポーツ、一体誰が興味を持つというのか。特にリオ五輪の後は、IOCの一存でいつ切られてもおかしくない状況だった。一人のファンとしてハンマー投が好きだからこそ、世間一般の目が冷たいと痛感していた。

【参考】リオ五輪男子ハンマー投の優勝記録78m68は、ユーリ・セディフ(ソ連)などの有力選手が東側諸国によるボイコットのため出場できなかった1984年ロス五輪(78m08)に次ぐ低水準だった。奇しくも2016年は、日本のハンマー投におけるアイコンである室伏広治が現役引退を表明した年でもあった。

80mと言えば大体100mでの9秒台に相当する。それを下回るというのは即ち10秒台での金メダル争いと同じことである。いくら100mが花形とはいえ、金メダリストが10秒を切れない時期が続けばその人気や注目度にも陰りが出てくるのは想像に難くない。これがハンマーだといよいよ世間から忘れられてしまう惨状になるだろう。

陸上と記録は切っても切れない関係にある。それゆえに記録ばかり期待され精神をすり減らしてしまった末續慎吾氏のようなアスリートもいる。私とてアスリートを追い詰めるのは本望ではないし、毛頭そのつもりはない。だが、仮にも世界一を争うトップアスリート達に、最低限の記録すら望むなというのであればそれこそ侮辱ではないのか。トップアスリートは、同じ競技を志す者、将来その競技に触れるかもしれない子供たちに夢や憧憬を与えるものであり、ロールモデルとなるべき存在であると私は考えている。だからこそ、一流を自負できないような、記録から逃げるような選手に大舞台に立つ資格はないとさえ思う。オリンピックや世界陸上は、運動会ではない。選手自身が一番そう感じているはずではないのか。

頑張っているから責めるな?初めから責めてなどいない。血の滲む努力をしているのは分かった上で、世界の舞台にふさわしいパフォーマンスをしてほしいと願っているだけだ。それを「観たくない」という個人的な感情だけ切り取って「見る価値がない」と勝手にすり替え、脊髄反射で批判しただけではないのか。まさか彼らは友人に「お前の落ち込んでいる姿なんか見たくない」と励まされても「俺だって頑張ってるのに無神経だぞ」と明後日の返答をするのだろうか。

最初は私も友人になだめられ「ちょっと辛口すぎたか」と反省した部分もあったが、やはりどう考えても彼らの捉え方とは相容れず、形式的な釈明だけして各個人に取り合うことは止めた。陸上に深く関わっていて、かつ私のことを知った上でその程度の解釈しかできないのであれば彼らとの共生は不可能だと思い至った次第だ。

自分で言うのもむず痒いが、数少ない投擲の発信者を袋叩きにすることが、リスペクトを持った人間のすることなのだろうか。もしこれで私が引退なり謝罪なりしていれば満足だったのだろうか。もし私が信頼を寄せている人達にまで攻撃されていたら、間違いなく引退していた。少なくとも今後国内の投擲事情には一切関わらなくなっていただろう。

マイナーな投擲を認知させようという難題でわざわざ頭を悩ませるような物好きが、本当に表面的な物事しか見ていないと本気で思ったのか。少なくとも私なら、自分の解釈に自信がない時に首を突っ込む気にはなれない。どうしてもという場合には、気分を害さないようにワンクッション挟む。それが見ず知らずの人に対する最低限の礼儀だからだ。これぐらいのことは、中高生でもできる子はいるのだが。

どうしてこのような思考回路になるのかを自分なりに考えた結果、こういった浅薄さや一連の流れを汲まず行う軽率な批判はまさしく希薄な当事者意識から来るものだと、そう感じずにはいられなくなった。たとえ一部でも指導者や国内トップ層ですらこの認識なのだから、投擲界が盛り上がらないのも無理はない。

恐らく彼らはハンマー投が除外されるはずないと能天気に考えている。投擲界は常に微妙な状態にあるという危機感を持っていれば、そんな発想にはならないはずなのだが……。正常性バイアスというやつか。

私の主張に理解を示してくれた人も多数いたからこそ、残念でならない。私自身、やはり後悔はある。人口が少ないからこそ、考えることは皆同じ。共通認識を持っている…と考えたのがそもそもの間違いだった。軽率にそう思い込んだ自分を殴りたいくらいだ。

世界の投擲事情まではわからないのであくまで日本だけの話だが、この病巣は根深いなと思う。彼らを今更どうこうしても得るものがないので、自分たちの立ち位置がしっかり認識できている人達と手を取り合っていくことが将来投擲界に寄与していくと信じている。

でももし、この記事を見ている方で当時批判側についた人がいるのなら改めて考えをお聞かせ願いたい。これだけ情熱をもって発信しても、まだ私のことを表面的な捉え方しかしない人間だとお考えになるのであれば無言でブラウザバックしてほしい。貴方が私に信条を強制する権利がないのと同様に、私にもその権利はないので好きにするといい。

この件に関して、私も再三言いたい放題言ってきたので騒動の当事者でなくとも反発する人がいるかもしれない。たとえ投人の主張に賛同してくれている方でも、対立して立場を悪くしてまで擁護する必要はないので相手と距離を置くなり話を合わせるなり上手くやってもらえればなと思う。

少しずつ活動再開しようと思ってまずこの記事を書いたが、何度も同じ話題を繰り返して申し訳ない。言いたいことは全て書いたので、本当にこれで最後にするつもりだ。これだけ何度も触れるということは、私にとってそれだけ遺恨の残る騒動だったということだけでもご理解いただきたい。