砲丸投げ チュクウェブカ・エネクウェチ(Chukwuebuka Enekwechi )─陽気な黒人プッター

チュクウェブカ・コーネル・エネクウェチはナイジェリアの砲丸投げ選手。21m80のナイジェリア記録保持者。世界陸上2019ドーハでは決勝進出し8位入賞を果たした。愛称はChuk1https://www.nydailynews.com/sports/high-school/chukwuebuka-enekwechi-senior-track-field-star-francis-lewis-hs-dominates-shot-put-article-1.150103(チャク)

チュクウェブカ・エネクウェチ(Chukwuebuka ENEKWECHI)

国籍 アメリカ→ ナイジェリアの国旗ナイジェリア

種目 砲丸投げ

生年月日 1993年1月28日

身長 181㎝(5’11)

体重 129kg

自己ベスト

砲丸投げ:21m80(2019)NR

円盤投げ:49m44(2015)ハンマー投げ:72m77(2015)

来歴

ナイジェリア系アメリカ人

1993年、ニューヨーク・クイーンズに生まれる。父クリスチャン,母クリスティアナ共にナイジェリア出身。

フランシス・ルイス高校二年の時、体育の授業で陸上部のモンタナロコーチに見出され陸上の道に進むことになる。当時WWEのファンであったエネクウェチは、プロレスラーへの憧れから体を大きくするためにウエイトトレーニングがしたいと考えていた。初めはトレーニングさえできれば良かったのである。

 

エネクウェチ
当時はちょって太ってて、レスリングでもして引き締めようかと思ってたんだ。
そんな時陸上のコーチに声をかけられて入部したのさ。

 

程なくして東ドイツの選手をインターネットで調べたり、参考になりそうなものを検索しているエネクウェチの姿があった。

地元の競技会で何度か優勝した後、高校三年の冬。エネクウェチはある決断をする。それは、Armory Track and Field Centerを拠点とするジョー・ロマンとチームを組むということだった。

 

エネクウェチ
投擲が自分のやりたいことになりつつあったんだ。記録が伸びるようになって、次のステップへ進むために指導を受けたかったんだよ。

 

当時エネクウェチはスランプに陥っていた。ファウルで17m50ほど投げていたのに正式記録は16m半ばどまり。

見かねたモンタナロがエネクウェチとロマン引き合わせた。

ロマンコーチは両足で始動する技術、すなわち回転投法をエネクウェチに叩き込んだ。彼の才能にはロマンも一目置いていたようで、

 

彼は頭がいい。指導する側としてもやりやすいし、飲み込みが早くあっという間に自分のものにしてしまう。(ロマン)

 

と評価している。

新環境での技術向上、トレーニングは順調に進んだ。ニューヨーク選手権で砲丸投げ5位、円盤投げ3位に入賞を果たしたのである。砲丸投げは自己新のおまけつきだ。

エネクウェチはこれに飽き足らず、自己流のウェイトトレーニング計画を考案。筋力・瞬発力強化のため著名コーチやプロアスリート、フットボーラーなど参考になりうるものをとにかく調べたのである。

ジャマイカYMCAやレクリエーションセンターで自身のウェイトプログラムに取り組んだエネクウェチは、学校に戻るころには25ポンドの増量を遂げていた。

その後は快進撃を続け、ニューヨーク市長杯で国内トップクラスの記録をマーク(18m32?)。またウェイトスローでも好成績を残し、全米ランクトップの記録をマークした2https://purduesports.com/sports/track-and-field/roster/chukwuebuka-enekwechi/4062

砲丸投げで全米ユース王者にも輝いた(18m55)3http://legacy.usatf.org/events/2011/USAYouthOutdoorTFChampionships/results/F569.asp

 

恩師達の軋轢

エリートスロワーの道をまい進していたエネクウェチだが、練習拠点を移しロマンコーチと良好な関係を築いたことでモンタナロの不興を買ってしまう。

きっかけはある大会でエネクウェチがエントリーされていないことによるものだった。

モンタナロは当初彼をエントリーさせる予算はなかったが、喜んでエントリーさせてもらうし、罰金4恐らくエントリーが遅れることによるも支払うとエネクウェチにこう伝えていた。

 

月曜日に私の元へ来てくれれば、参加させてあげるよ。
(モンタナロ)

 

翌日、ロマンコーチはモンタナロに一通のメールを送った。内容は「モンタナロが故意にエントリーさせず、エネクウェチが75ドル支払う羽目になった」という彼に対する非難を表すものだった。

そして、エネクウェチ、ロマンともにその大会ではフランシス・ルイス代表としては競技に参加しない意向を示した。

 

(その大会において)あなたの存在は求めてもいないし、もっと言えば不必要です。

緊張や不愉快な思いをさせないためにも、チャク(エネクウェチの愛称)が参加する試合に口出ししないでいただきたい。
(ロマン)

 

このメッセージにはモンタナロも激怒。さらにエネクウェチとロマンが家族同意の元、2010-2011年の間コーチングを担当することを正式に契約していたことが発覚5当然エネクウェチの在学期間と被っている。

これらを踏まえモンタナロはミーティングを実施。

ロマンとの関係を解消するか、卒業してからロマンに師事するようエネクウェチに迫ったのである。最後通牒を突き付ける形だ。

大会三日前、具体的な決断を下せていなかったエネクウェチはロマンと共に歩む道を選んだ。

エネクウェチ自身、起こる必要のない騒動の被害者だと感じている。ただそれでもロマンとの道を選ぶほかはなかったようだ。

 

エネクウェチ
学校での練習のみで平凡な成果に甘んじるか、学校に戻らないかを決めなけれならなかったんだ。

 

大学時代

華々しい高校キャリアを終え、2011年秋にパデュー大学6本人曰く「遅咲きだった」ため、奨学金で競技ができる大学がバッファロー大かパデュー大しかなかったという。へ進学したエネクウェチ。入学年度(2012)はレッドシャツ制度を行使し大学の競技会には出場せず。2012年のベストは15m99(7.26㎏)。

彼の大学キャリアは2013年から始まった。一年次から好調そのもので、全米学生選手権(以下NCAA)に砲丸投げ,ハンマー投げ,ウェイトスロー7エネクウェチは砲丸投げとハンマー投げ両種目で出場した唯一の選手だった。で出場。砲丸投げは18m32で14位、ハンマー投げは62m75で14位と入賞を逃すも、ウェイトスロー(35ポンド)では21m52を投げて銅メダルを獲得した。

 

二年次(2014年)

ハンマー投げで67m31をマークしナイジェリア記録を更新8記録は公認されているが、世界陸連ではNRの表記がない。恐らく、アメリカ国籍の記録として公認されているものと思われる。

二年連続でNCAAに出場。ハンマー投げで11位(64m26)、砲丸投げで13位(18m17)の成績を残した。

 

三年次(2015年)

NCAAのウェイトスローで二度目の銅メダル(24m18)を獲得。砲丸投げでは18m43で22位に終わったものの、ハンマー投げでは68m42を投げ6位入賞を果たす9http://fs.ncaa.org/Docs/stats/track_outdoor_champs_records/2014-15/D1Men.pdf10砲丸投げは錚々たる面子が並んだ。ライアン・クルーザー,ダレル・ヒルを初めとして、フィリップ・ミハルビッチやスティペ・ズニッチなど国内外の強豪選手も参加していた。優勝はジョナサン・ジョーンズ(20m78)。

記録も順調に伸び、ハンマー投げでは70mの大台を突破する72m77、砲丸投げでは19m46までベストを更新した。

 

四年次(2016年)

入学時は220ポンド(99.7㎏)だった体重も235(106.5㎏)ポンドまで増量。3月には早くも20mの壁を破る20m37をマーク。

NCAAでも20m37を再び記録し2位。自身初となる入賞・表彰台入りを果たす。ハンマー投げでは69m74の6位入賞。ウェイトスローでも23m65で2位、表彰台に乗り自己最高位を更新するキャリアハイであった。

ナイジェリア選手権にも出場し19m60で初タイトルを獲得11https://www.makingofchamps.com/wp-content/uploads/2016/07/sapele-2.pdfするも、年次ベスト20m45で念願のリオ五輪出場はならなかった12リオ五輪の参加標準記録は20m50。

大学卒業後

2017年は21m07をマーク。IAAFからナイジェリア国籍取得を認可され13https://media.aws.iaaf.org/competitioninfo/d601179c-fa73-474f-b191-8d2e88e5c5e2.pdf、ナイジェリア代表として自身初の世界陸上出場を果たす。しかし19m72で予選を通過することはできなかった。

2018年になると国際大会でも徐々に好成績を残し始める。世界室内では19m78で14位と低調だったものの、3月のコモンウェルスゲームズでは21m14でトム・ウォルシュに次ぐ2位。

9月のコンチネンタルカップでは20m82で4位。記録も20m-21mの間で安定し始めた。

 

2年前のリベンジ

2012年から毎年記録を伸ばし続けたエネクウェチ。屋外シーズン3度目の試合で21m77のナイジェリア新記録をマーク。それまでステファン・モジアが保持していた21m76を1㎝更新した。

その後しばらくの間20m台で低空飛行を続けるも、8月には21m80を放ちさらに記録を更新。

世界陸上予選では20m90と過去最高の予選通過ラインが設けられたが、エネクウェチは二投目に20m94を投げて予選通過。

自己ベストで上回るミハウ・ハラティク(22m32)やボブ・バーテムス(22m22)らが予選敗退する中で実力を発揮した。

決勝は一投目に21m18をマークし、ベスト8入りを決めたものの以降は記録を伸ばせず、8位で競技終了。

巨漢がひしめくこの種目では最も小柄な部類(181㎝/107kg14決勝進出者の平均身長・体重はそれぞれ191cm,128㎏であった。)であり、堂々の8位入賞を果たしたと言っても良いだろう。

 

エネクウェチ
一か月ぶりの試合だったので試合モードに戻るのに二投要した。いや実際は二投も必要なかったけどね。

 

2021年~

一年延期された東京五輪にナイジェリア代表として出場したエネクウェチ。21m16で決勝進出を果たすも、決勝では伸び悩み19m74で12位に終わり入賞はならなかった。

翌2022年世界陸上オレゴンに出場し予選で20m87を投げ決勝進出。しかし決勝では記録を伸ばせず20m65で11位に終わり、二大会連続の入賞を逃した。

 

 

筋力・身体能力

デッドリフトは356㎏以上。スクワットは350㎏以上。ベンチプレスは230㎏程度。立ち幅跳びのベストは3.3mで、垂直跳びは40インチ(101.6cm)が最高15本人のインスタグラムから。

立ち投げは16m-17mだが、ドリルやウォームアップ程度にしか捉えていないという。フルターンの練習ベストは22m31。

 

家族

男兄弟が二人(クリス,弟チサム)、女きょうだいが一人(ダイアモンド)の四人きょうだい。弟のチサムも砲丸投の選手。インスタグラムでの発言から、少なくとも第一子ではないようだ。

エネクウェチ曰く「両親は新たな機会を求めてアメリカに渡った」。

 

性格

フィールド上では投擲後に大ジャンプを披露したり、マッスルポーズをとって見せるなどお茶目な一面がある。物まねやダンスが好きで、明るく人好きのする性格。グループのムードメーカー的存在である。

投擲に対しては強い執着があり、競技に関することは積極的に行う。

 

エネクウェチ
(投擲)オタクだね。フェイスブックでスロワーは友達に追加するし、動画も観る。
風呂場の鏡の前でポーズもとるよ。

 

エピソード

高校時代は学校から電車二本、バス一本乗り継ぎ二時間かけて練習場所に通っていた。

高校時のGPAは3.5。コネチカット大、アルバニー大、バッファロー大などから注目された。

体育教師が「どんな授業がしたい?」と質問したところ、手を上げて「ウェイトトレーニングがしたいです」と答えた。

パデュー大学のアシスタントコーチであるケイス・マクブライド氏に「パデュー大学のアスリートの模範的存在」だと高く評価され、「パデュー大学史上最も優れたアスリートの一人」であると太鼓判を押されたことがある。

現在は西ラファイエット高校でコーチ業を務めている。

前ナイジェリア記録保持者のステファン・モジアとは友人同士で、2010年ごろから交流がある。

Q.投擲を始めたときどう思った?

 

エネクウェチ
皆が走ったり跳んだりしている一方で、隅っこのほうでケージに囲まれてボールを投げている…ちょって変だなって最初は思ったよ。
でも競技の楽しさがわかってくると同時に奥深さも感じて、それでますます面白くなってきたんだ。

 

 

 

関連リンク

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