円盤投げ年代別カテゴリーから見る日本と海外の記録差

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世界へ羽ばたくには

投擲は年代により規格が異なるため単純比較が難しい場合もあるが、U20の世界トップクラスにはシニア規格でも60m以上投げる力を持っている選手がいる。言い換えれば、日本のトップ≒U20の世界トップなのである。日本の円盤投げも堤を筆頭に全体水準は大幅に引き上げられたが、まだまだ世界の大舞台は未知の領域…というのが実情である。

U20で2kg記録を残した主な選手(2020-2023)

惜しむらくは堤,湯上,幸長の三人が抜けていて下の世代とは隔たりがあるということだろうか。55m~58mの選手が増えてくれば60mももう少し身近な数字に感じられるかもしれないし、かつて堤が湯上から日本記録を奪還した時のような抜きつ抜かれつの競争が巻き起こるかもしれないが、それはまだしばらく先の話だろう。

世界レベルの十種競技選手でも円盤投げを得意とする選手は50m投げるということを考えると、本当は日本選手権決勝クラスには最低でも55m以上を期待したいのだが、現時点ではいささか贅沢が過ぎる要求かもしれない。ただ、円盤投げに限らず専門を一本に絞っている選手は、たとえ相手が世界クラスの十種選手であろうと専門種目の意地を見せてほしい。特に投擲種目は専門性が高く、日本トップクラスのプライドを持っているならば十種選手に完勝できることが望ましいのである。

とは言うものの、日本選手権の記録水準を見る限りでは全体的には決して低い水準というわけではない。日本は総人口が一億以上の先進国であるせいか、トップとボトムの差が他国に比べ小さい傾向にある。

アレクナ家を筆頭に円盤投げの伝統を紡ぐリトアニア

例えば70mスロワーを三人も輩出している円盤大国、リトアニアは人口わずか280万人程度。2023年リトアニア選手権では、マイコラス・アレクナ(69m30),マルティナス・アレクナ(63m26),アンドリウス・グドジウス(62m75)の上位三人は日本記録を上回る高水準で あるが、4位は57m71,5位は56m99,8位に至っては47m06と、アレクナ兄弟やグドジウスが傑出しているだけで、国内選手権の中下位層は日本と同等以下の水準にある。

人口が多く投擲が盛んなドイツであれば8位までが60m以上と、さすがに層の厚さを感じさせるが、ブダペストの成績ではリトアニア勢に全く歯が立たなかった。どこの国でも、層の厚さに関わらず世界で活躍できる逸材は傑出した存在であるということだ。日本で言うところの室伏や北口がそれにあたる。

D.スタールやS.ペッテション擁するスウェーデンも全体水準は決して高いとは言えない

他にも、スウェーデン選手権の8位は43m64、オーストラリア選手権の8位は48m90であることを踏まえると、世界の舞台こそ遠いものの50mスロワーが豊富な日本は国内選手権中下位層の層が厚い、と考えることもできる。平均的な記録こそ高いが、傑出した存在が現れるのは稀、というのが日本陸上の特徴であるとも言える。ある意味では、スポーツエリートを中・高・大と輩出し続ける部活動という形態の賜物ではないだろうか。掛け持ちが稀で、一つのスポーツに注力し続ける環境や慣習があるからこそ成り立つ選手層である。

投擲以外では3000m障害の三浦龍司,110mハードルの泉谷駿介,女子中長距離の田中希実らが世界に通用する逸材と言える。しかし、これらの種目も他選手の記録水準が低いというわけではなく、彼らがただ“世界水準”であるというだけの話である。

層が厚いから良い選手が輩出されるのか、良い選手が出てきたから層が厚くなったのか…。鳥が先か、卵が先かという話にもなってくるが、いずれにせよ全体のレベルが上がるということは、今後現れるだろう傑物の格も相対的に高くなるということは頭の片隅に置いておきたい。

特に近年の女子やり投げは、前日本記録保持者海老原有希らが耕した土壌があったからこそ、北口をはじめとする世界クラスの選手が複数生まれる豊作地となったのではないだろうか。どの種目も他国に比べれば上位層の競技力こそ劣るものの、中間層の厚さは日本の数少ない強みと言えるだろう。短距離のようなメジャー種目だけでなく、競技人口の少ない投擲でさえ様々な実力帯の選手がいるという事実はもっと広く知られるべきだと私は思う。

昨今では大谷翔平や八村塁など、アメリカンスポーツで活躍する日本人の話題に事欠かない。市場の大きいプロスポーツで活躍できる人材がいるということは、日本人のポテンシャルもまだまだ捨てたものではないと感じさせる好材料だ。

強いて言えば、日本に足りないのは適材適所という概念である。好きこそものの上手なれ、とはよく言うが(私の好きな成句でもある)、時には取捨選択も必要だ。自分の興味関心に合わせてスポーツを選ぶことは間違いではないし、尊重されるべきだが、将来を視野に入れるならば「自分が活躍できる場所」を探すこともまた大事である。

そして、日本陸上界に必要なのは「多くの人に関心を持ってもらうこと」である。

大谷や八村はもし陸上選手になっていたとしても優秀な成績を残すことができたであろうフィジカルエリートだ。彼らのような逸材を引き付ける魅力が、果たして日本陸上界にあるのだろうか。

室伏広治の父・重信は当初相撲に強い関心を抱いていたが、陸上に出会い最終的にはハンマー投げの大選手となった。北口榛花や村上幸史も恩師に誘われなければ別の道を歩んでいたかもしれない。彼らが陸上を選んだのは幸いだったが、これは決して当たり前の話ではないということを我々は肝に銘じておくべきである。

野球などのメジャースポーツと競り合った時に、選んでもらえるスポーツになること、ひいては各種目で日本人が世界へ進出する足掛かりを作っていくことが我々に求められている当面の課題なのではないかと、私は強く感じている。