投擲競技における2024年展望 やり投げ編

チョプラを筆頭にインド勢が熱い

安定感・大舞台での実績からするとニーラジ・チョプラの二連覇に死角はない。昨年のブダペスト世界陸上ではチョプラを含むインド勢三人全員が上位入賞という快挙を達成。今やインドはアジアのみならず、世界有数のやり投げ大国に数えられているといっても過言ではない。チョプラの強みは、安定した技術による高水準のパフォーマンスにある。やり投げは種目特性上、90mを超えるベストを持つ選手でも調子やグラウンドコンディション次第で80m台前半投げるのがやっと、というケースが少なくない。いわゆる「やりは水物」というやつだ。

ところがチョプラは、どんなコンディションでも87m以上投げることができるオールラウンダーである。記録が望めない条件下ではめっぽう強い。オレゴン世界陸上では後述するアンダーソン・ピータース(グレナダ)の90mスローの前に敗れたが、チョプラ唯一の弱点が爆発力に欠けることだろうか。これだけの安定性と実績をもってしても、自己ベストは89m94であり、アジア記録(91m36,鄭兆村)は未だ手中に収めていない。90mの壁を破れるか否かが、チョプラの勝利を盤石にする鍵となるかもしれない。

チョプラ以外のインド勢も要チェックだ。Kishore Jenaはブダペスト5位,自己ベスト87m54を持ち、アジアでもチョプラに次ぐ実力者である。身長173㎝と非常に小柄ながら、インド勢特有の素早い助走から放たれるやりの勢いは侮れない。28歳の円熟期に突入したJenaが、技術に磨きをかけてくると後輩のチョプラをも脅かす可能性があるかもしれない。

今月24日に24歳の誕生日を迎える若手、Devarakeshavi Prakasha Manuにも注目したい。ブダペストではアジア大会ではJenaに次ぐ6位入賞を果たし、アジア大会でディーン元気を破り銀メダルを獲得したことは記憶に新しい。Manuは187㎝とやや大柄だが、至近二年は84m台の記録をマークしておりまだまだ伸びしろがある選手である。

同国のライバルが強いと、相乗効果で記録が出やすくなるのが陸上競技の常である。五輪という大舞台でも、フルエントリーができるインド勢は欧州勢にとっても脅威となってくるはずだ。

投人最大の注目はやはり今季完全復活を目論むヨハネス・ベターだ。自己ベスト97m76は現役選手で断トツであり、一時はヤン・ゼレズニーの世界記録更新(98m48)も秒読みかと思われた傑物。ところが東京五輪で不本意な9位に終わってからというもの、怪我が長引いて低迷が続いていた。今年パリ五輪に出場すれば実に三年ぶりの大舞台となるが、この数年のフラストレーションは筆舌に尽くしがたいものがあるはずだ。存在感こそ低下したものの、依然世界記録更新の可能性があるのは現役ではベターのほかにはいない。そして、何試合も90mを連発できるのはゼレズニーとこの男くらいのものだろう。パリ五輪の陸上競技が実施されるサンドニのスタッド・ドゥ・フランススタジアムは、21年前に開催されたパリ世界陸上の会場であり、ベターを指導するボリス・ヘンリー(現姓オーバークフォル)が銅メダルを獲得した思い出の場所でもある。尊敬するコーチゆかりのサンドニで、悲願の金メダルを獲って恩師に報いたいと考えているはずだ。

ドーハ・オレゴン世界陸上の覇者アンダーソン・ピータース(グレナダ)は非常に爆発力のある選手。ブダペストでは予選敗退の屈辱を味わったが、93m07のベストを持つ実力者であることに変わりはない。ベター同様、五輪までにどこまで調子を戻せるかが勝敗を分ける鍵となるだろう。90mを投げられる状態まで仕上げてくると、チョプラとて楽に勝てる相手ではないことは確かだ。

ポテンシャルの高さでは、アルシャド・ナディーム(パキスタン)も未知数と言えよう。世界・アジア王者のチョプラ相手に大きく負け越してはいるものの、自己ベストは90m18とチョプラを上回っている。一見、あまり飛距離が出そうにないフォームのナディームだが、ブダペストではぶっつけ本番ながら87m82で銀メダルを獲得。内に秘めた爆発力は、ピータースらに比肩するものがあるかもしれない。

日本勢はディーン元気を筆頭に、80mをコンスタントに投げることを目標にしてもらいたい。やり投の予選通過ラインは低い時で80m前後になるが、まずはこの距離を安定して投げることができなければいくら決勝に進めても勝負の土俵に上がることは難しい。ディーンには2012年以来の自己ベスト更新をそろそろ期待したい。フィンランド遠征を積極的に行い、日本男子投擲選手の中でも特に海外遠征の重要性を認識している彼ならば、必ずや壁を打ち破ってくれることだろう。SBが84m以上であれば、念願の入賞も見えてくるのではないだろうか。予選一投目に82mは期待したい。ラインを超えなくても、一投目で切り上げることが出来れば決勝で余裕を持って試合展開ができるはずだ。

その他の日本勢は誰が代表入りを果たすか予想が難しい。80mスロワーこそ今では珍しくなくなってきたものの、ディーンの後継と言えるほどの存在はまだいないというのが現状だ。ディーン先輩の胸を借りるつもりで、また鼓舞するつもりで若手選手には頑張ってもらいたい。

室伏以来の五輪金なるか北口

女子は我らが北口榛花の金メダルに期待がかかる。昨年のブダペストでは最終投擲での大逆転劇を演じ、日本女子フィールド初の金メダルをもたらした。さらに、ダイアモンドリーグファイナルも優勝し年間王者に輝いた。

北口の武器は何よりもまず6投目の強さにある。オレゴンの銅も、ブダペストの金も6投目。序盤にある程度の記録を出して中盤やや中だるみしてしまう傾向はあるものの、最終投擲に強いというだけでも特筆すべき価値があるのは投擲ファンなら誰もが認めるところだろう。パリの前に期待したいのは日本記録と、更新目前まで迫っているアジア記録(67m59)である。

現在、世界レベルでは群雄割拠と言っても良い女子やり投。他と一線を画する実力者はおらず、66m以上のベストを持つ選手であれば優勝を狙えるやや停滞気味の時代である。アジア記録保持者の呂会会は加齢により衰え、東京五輪金の劉詩穎は怪我により本来の実力からは程遠い状態が続いている。昨年世界記録保持者のシュポタコヴァ引退し、現役最高記録保持者(71m40)となったマリア・アンドレチク(ポーランド)も完全復帰にはまだ時間がかかりそうだ。

北口の対抗馬として有力視されるとすれば、マッケンジー・リトルケルシー=リー・バーバーらオーストラリア勢だろうか。特にバーバーはドーハ・オレゴン世界陸上を制した実力者。昨年は怪我のため精彩を欠いたが、本調子の彼女に勝てる選手は、現役では北口くらいものだろう。

全体の水準が停滞している今こそ、北口以外の日本選手が世界の扉をこじ開ける好機だ。フルエントリーはもちろん、三人揃っての決勝進出も大いに期待できる。今や日本は世界有数の女子やり投大国である。北口に追いつけ追い越せの精神で切磋琢磨していけば、さらに層が厚くなり日本のお家芸となる日もそう遠くはないのかもしれない。65mとまではいかないが、前日本記録保持者の海老原有希を超える選手の登場にも期待したい。

個人的には、ブダペストで銀メダルを獲得したフルタド(コロンビア)の動向も気になるところだ。銀がフロックか否かは、パリの結果を待つことにしよう。